昭和60年岐阜大学医学部を卒業し、同年慶應義塾大学医学部精神神経科学教室、慶応義塾大学病院精神科における研修を経て、山梨県立北病院精神神経科に勤務したのが、私の精神科医として出発点です。
県立北病院在籍中は佐々木重雄院長・功刀弘副院長・藤井康男医局長各先生をはじめ、多くの諸先輩方からご指導を受け、当時は県内で初めてとなる北病院のデイケア開設に微力ながらかかわりました。同時に地域の機関の皆さまにもご指導をいただきまして、精神科地域支援とリハビリテーションの基礎を身につけました。
平成2年、再び上京して桜ヶ丘記念病院精神科で勤務し、山内惟光・佐藤忠彦両院長のご指導のもとで、デイケアを含むリハビリテーション全般を担当し、東京デイケア連絡会の運営委員長を務めさせていただきました。また、日本精神神経学会精神保健・医療・福祉システム検討委員会委員、日本病院地域精神医学会評議員から理事を務めさせていただき、地域におけるメンタルヘルスのサービスとシステムに関する研鑽を積んでまいりました。
そして平成19年8月に理事長松野正弘先生、前院長佐々木重雄先生よりお誘いを受け、再び山梨の地に戻ってまいりまして、当住吉病院の院長職を拝しました。私にとっては、山梨は精神科医としての原点であり、第二の故郷に帰ってきたとの思いを持って、かつてお世話になった地域の皆さまのお役に立ちたい、自分の重ねた経験をもとに、精神の病をお持ちの方々により積極的な貢献をしたいという希望を胸にしての決断でした。
私どもの住吉病院は、昭和45年に、県内で初めてアルコール依存症をお持ちの方の専用の病棟を持って以来、この疾患への医療的関与が伝統となっている病院です。平成5年には県内唯一のアルコールセンターを持つようになり、地域に貢献してきたところです。私たちが依存症の治療にあたるとき、その活動の芯となるのは「自己決定権の尊重」「チーム医療」「当事者の方にそなわっている力を信じること」「症状を消し去ることではなく”回復=リカバリー”を目指す」ことでした。そのためには医療者のみならず、ご家族も、断酒会も匿名の回復者の組織の皆様も、それぞれが尊重され、いわば一つのチームとなってことにあたることが必要でした。アルコールセンターで毎月行われている「行軍」のように、患者様もスタッフも『平場』でともに活動をすることの大切さは、私たちの実践の中から形になってきたといえると思います。 時は過ぎ21世紀になり、アメリカの潮流を受けて我が国の精神医療保健福祉の領域でもさまざまな本や論文でチーム医療が叫ばれ、リカバリー志向が論じられてきました。病の有無には関係なく、人の力を信じることや、その人らしい地域生活のための支援、症状の自己管理、就労などへの支援を通じた社会的な自己価値観の回復支援などが重要視されるようになりました。当法人では、これらはもうずっと前から今日まで、脈々と私どもに継承されている誇りある「伝統」です。
そのよき伝統に支えられ、当法人は病院組織から、ケアセンター、グループホーム、援護寮、地域生活支援センター、通所授産施設、障害者就業・生活支援センター、長期在住型アパートと、さまざまな障がいをお持ちの方の地域生活のための支援を充実させてきました。平成22年に公益財団法人として認可を得たとき、法人は「住吉病院」と「リカバリーセンターすみよし」の両輪となって前に進むようになりました。サービスを利用される方の視点を重視することから、障がいをお持ちの方を積極的に雇用して、全国重度障害者雇用促進協会にも参加するようになりました。『HEART・fullメッセージ2008』にもあるように、法人はすべての人に対して人間愛を持ち「すべては回復=リカバリーのために」との思いを形にした活動をこれからも続けていこうと考えています。
このような伝統を作ってくださった多くの先人の皆様の恩恵を得ながら、新しい時代をみんなで切り拓くためのチャレンジに邁進していきたいと思います。リカバリーとは、結果ではなく過程であると言われています。誰でもがどこからでもリカバリーの道を歩むことができる、そのことを先に進む方から学び続けて、これから歩みを始めようとする方々にそれを伝え、まだ見ぬ仲間の方々のためにメッセージを送りたいと考えています。医療・福祉の現状を見つめると、すべての人にリカバリーへの道筋を伝えるという目標に到達するには、まだまだ道は険しいかもしれません。それでも、常に初心を忘れず、よりよい医療福祉を含む新しい支援法に挑戦し、夢を追い続けたいと思っています。
皆さま、これからも私どもをよろしくお願い申し上げます。
私の今までのささやかな業績は
こちらをご覧いただけますと幸甚です。
平成24年1月1日 |
公益財団法人住吉偕成会 住吉病院 院長 中谷真樹 |
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